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古代エジプトを支えた”細かすぎるデータベース”とは|現代人と変わらない数字にかける情熱

古代エジプトの書記は、家畜を種類や成長段階ごとに数え、農地の面積、耕作者、収入の見込み、穀物の納入と残高まで記録していました。約3000年にわたる国家運営を支えた、古代のデータ行政をたどります。

牛を数えパピルスへ記録する古代エジプトの書記と、驚いた表情で見つめる現代の案内役

古代エジプト文明は、ナイル川流域で3000年以上にわたって続きました。その間には王朝の交代や国が分裂した時期もありますが、ピラミッドや神殿を築き、農地を管理し、広い地域から物資を集める国家運営が発達していきます。

国を動かすには、各地に何があるのかを知らなければなりません。どこに畑があり、誰が耕しているのか。家畜は何頭いるのか。穀物や布はどれだけ届き、倉庫にいくつ残っているのか。

こうした情報を記録したのが書記たちです。家畜や土地の調査から、税、物資の出入り、働く人の管理まで、古代エジプトの行政は大量の記録に支えられていました。

残された文書を読むと、その細かさは現代の感覚で見てもかなりのものです。

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古代人の細かすぎるデータ集積

その中でも、古代エジプトの書記は、群れの合計に加えて、成長した雄牛、二歳の牛、役牛など、種類や成長段階まで分けていました。

資料を追っていて、いちばん「そこまでやる?」と思ったのが、この牛の記録です。

第12王朝の税制を調べたA. M. Al-Rajhiの研究には、こんな一文があります。

「調査の正確さは非常に重視され、群れの総数を数えるだけでは終わらなかった」(筆者訳)

これ、約4000年前の話ですよ。牛の合計だけでも、調査としては十分に大変だったはずです。それでも彼らは、牛がどの段階にあり、どんな価値を持つのかまで記録しました。

なぜ、そこまで細かく分けたのか。

牛は、畑を耕す力になり、子を産み、乳や肉をもたらします。若い牛と成長した牛では、担える役割が違います。税や負担を考えるなら、頭数だけを見ても実態はつかめません。

クフ王時代の三頭の牛が刻まれた石灰岩のレリーフ断片

クフ王時代の牛を表したレリーフ断片。家畜調査の場面そのものではありませんが、王の名とともに牛が刻まれた実物資料です。所蔵・画像: The Metropolitan Museum of Art「Relief fragment with king Khufu's cattle」(Public Domain)

古代エジプトでは、家畜、土地、穀物、布、働く人まで、国を動かす資源を記録していました。現代の言葉を借りれば、税務調査、資産台帳、在庫管理、勤務表がつながったような世界です。

正確なデータがなければ、広い国は動かせない。古代エジプトの人たちは、そのことをどれほど本気で理解していたのか。記録が国の中でどう働いたのかを、一緒にたどってみましょう。

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国土を可視化した書記の記録

王が宮殿に座ったまま、遠くの村に牛が何頭いるかを知る術はありません。今年使える畑の広さも、倉庫に入った穀物の残りも、王の視界の外です。

そこで動いたのが、地方の役人と書記でした。

第12王朝の地方長官ジェフティヘテプの墓には、家畜調査の場面が描かれています。地方長官の前を、雄牛、子牛、羊、山羊、乳牛が列になって進み、そのそばで書記が記録している。現場の光景がそのまま浮かぶような絵です。

もちろん、墓の壁画には地方長官の仕事ぶりを立派に見せる意図もあります。これだけで、調査の実態をすべて語ることはできません。

ただ、別のパピルスにも細かな記録が残っていました。

人名と穀物の量が記された第12王朝の会計パピルス

第12王朝の会計パピルス。片面には人名と穀物の量が並びます。本文で扱うカフーン文書とは別の史料ですが、同時代の会計記録がどのような姿で残っているのかを確認できます。所蔵・画像: The Metropolitan Museum of Art「Papyrus inscribed with an account and a religious text」(Public Domain)

Al-Rajhiが紹介するカフーン文書には、アメンエムハト3世の治世第9年、暑季の第1月29日(収穫期にあたる季節の初月末。引用元では、現在の暦の何月にあたるかまでは示されていません)に行われた雄牛の調査が記されています。さらに翌年、同じ時期に行われた調査も残っています。

台帳を一度作って満足していないんですよね。牛は生まれ、育ち、失われます。去年の数字を今年も使えば、すぐに現実とずれてしまう。データは更新してこそ働くという、ごく現代的な感覚が見えてきます。

古王国の文書には、「第3回の計数の年」といった表現が登場します。これは、その年を特定するための年代表記です。現在なら「西暦2026年」や「令和8年」と記すところを、王の治世中に計数行事が何回行われたかで表していました。

Leslie Anne Wardenの研究によると、「第3回」という数字は、数えた家畜の頭数ではなく、行事の実施回数です。「年号」とほぼ同じ役割ですが、元号と同じ制度ではないため、ここでは「年代表記」と呼びます。

パレルモ・ストーンに残る記載の多くは、計数の対象を明記していません。すべてが家畜課税の調査だったかは分からない。それでも、計数という仕事が王の時代を記録する目印になるほど重かったことは伝わります。

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全長10メートルの土地台帳と約2800区画

前述のように、牛の記録だけでも相当な細かさですが、土地の記録はさらに規模がデカいんです。

新王国、第20王朝の「ウィルバー・パピルス」は、中部エジプトの農地を記録した文書です。ブルックリン美術館によると、全長は約10.33メートル。巻物を伸ばしても、伸ばしても、まだ畑の記録が続きます。

土地制度を研究したSally L. D. Kataryは、この文書を「ファラオ時代の土地保有と農地評価について、最長かつ最も完全な文書」と表現しています(筆者訳)。

本文Aに記録された土地は、約2800区画です。

約2800区画の一つひとつに、土地を管理する組織、おおよその場所、耕作を担う人、その人の職業や肩書、面積、穀物で納める収入の算定まで並んでいます。

どこにあるのか。誰が耕すのか。どれくらい広いのか。どの組織が管理し、そこから何を受け取るのか。

土地という大きな塊を、判断に使える項目へ一つずつほどいているわけです。いま私たちがデータベースを作るときと、発想はかなり近いですよね。

二頭の牛に木製の犂を引かせて畑を耕す人物の古代エジプト模型

第12王朝の耕作模型。木製の犂を二頭の牛に引かせています。土地台帳そのものではありませんが、記録された農地で人と牛が働く具体的な姿を伝える資料です。所蔵・画像: The Metropolitan Museum of Art「Model of a Man Plowing」(Public Domain)

ただし、このパピルスを「全国版の完全な税台帳」と呼ぶことはできません。文書の冒頭が失われ、誰が何のために作らせたのかは確認できないからです。記載された土地も、調査地域の全農地ではないと考えられています。

分からない部分は残っています。それでも約2800区画を同じ形式で整理した事実から、行政が土地をデータとして扱った規模は十分に見えてきます。

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物資の出入りと勤務表までつないだ行政記録

家畜や土地について集めた数字は、税の算定や資産の把握に使われました。さらに、その数字が実際の物資管理や人員配置へつながっていたことも分かっています。

その様子をかなり具体的に見せてくれるのが、古王国・第5王朝のアブシール・パピルスです。大英博物館が所蔵する一枚には、王の葬祭施設で使われた収入記録が残っています。

穀物の記録にあるのは、「数量」「納入」「残高」にあたる欄です。特定の日に届いた量と、どこへ保管したかも書かれています。布については、日付、送り元、数量まで記録されました。

そして、このパピルスを裏返すと、施設の各場所を担当する人の名前が出てきます。月ごとの勤務表をまとめたものと考えられています。

これ、ほぼ経理と在庫管理とシフト表ですよね。

現場で数えた数字が、倉庫へ届く。受け取った量を記録し、残りを確かめ、担当する人を配置する。データが次の仕事へ手渡されている様子が、パピルスの表と裏から見えてきます。

穀物を運ぶ人、受け取る人、記録する書記を表した古代エジプトの穀物倉庫模型

中王国の穀物倉庫模型。穀物を運ぶ人だけでなく、書記と監督者も配置されています。アブシール・パピルスとは別の時代の資料ですが、物資と記録が同じ現場で動く様子が立体で残っています。所蔵・画像: The Metropolitan Museum of Art「Model of a granary with scribe and overseer」(Public Domain)

データを扱う私たちとして面白いのは、数字の多さより、記録が行動につながっているところです。何を数えるか決める。形式をそろえる。更新する。そして、物資と人を動かす。

道具はパピルスでも、やっていることは驚くほど現在の仕事に近いんですよね。

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正確なデータの先にある税と権力

これだけ細かな記録を見ると、古代エジプトの行政を褒めたくなります。

でも、その正確さは誰のために必要だったのでしょうか。

何を資産として数えるか。誰を土地の責任者として登録するか。どれだけ納めてもらうか。項目と基準を決める側には、大きな力があります。

いま残っている文書は、王、神殿、役人が作ったものに偏っています。税や労働を負担した農民や牧畜民が、その数字をどう受け止めていたのかは、残された史料から見えにくい部分です。

正確な台帳があったからといって、社会が公平だったかどうかは、また別の歴史のお話。

一方で、国を動かす側が正確な数字を必要としていたことは、記録の細かさから伝わります。集める量が曖昧なままでは、倉庫の残りや、次に必要な人手の判断も狂います。

データは国を見えるようにします。そして、見えるようにした側へ力を集めます。この二つは、切り離せない関係だったのでしょう。

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ピラミッドを支えた見えないデータ基盤

大英博物館は、古代エジプト文明が3000年以上続いたと紹介しています。もちろん、その長さをデータだけで説明することはできません。王朝は交代し、国が分裂した時期もあり、行政の仕組みも変わりました。

それでも、古王国、中王国、新王国の異なる時代の史料に、同じ動きが繰り返し現れます。

現場へ行く。数える。種類を分ける。台帳へ書く。翌年も更新する。届いた物資と残高を確認し、人を配置する。

広い国を遠くから動かすために、まず国の姿をデータに変えていたんです。

ピラミッドや神殿は、いまも目に見える巨大建築です。その背後では、書記や役人が日々数字を書き続けていました。

穀物倉庫の模型から取り外された、記録板を持つ二人の書記像

メケトレの墓に納められた穀物倉庫模型の書記たち。約4000年前の模型にも、物資を扱う人と記録を担う人が分けて表現されています。所蔵・画像: The Metropolitan Museum of Art「Scribes from Meketre's Model Granary」(Public Domain)

牛を年齢まで分けたこと。10メートルを超える土地台帳を作ったこと。納入量だけでなく残高と保管先まで書いたこと。

この細かさ、すごいですよね。

私たちは「データが大事です」と簡単に言います。古代エジプトの人たちは、それを何千もの区画と、翌年も続く調査記録で実行していました。

その正確さから感じるのは、見えない国をなんとか見える形にしようとした、古代の人たちの熱量です。

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参考文献・出典

#RESEARCH#古代エジプト#データの歴史#税#土地測量